PLECTRUMとは英語で弦楽器を奏でる道具、ピックの意。Teenage Fanclubが名付け親。90年代UKギターポップ、シューゲイザー、USインディポップに強く影響を受けたバンド黎明期から、ガレージ、サイケ、70'sパワーポップ等様々な音楽を吸収し現在に至る。1996年にポリスターレコードからメジャーデビューし、アルバム1枚、ミニアルバム2枚、マキシシングル3枚、シングル2枚をリリース。1999年からインディーズで活動し、アルバム4枚、ライブアルバム1枚、ミニアルバム2枚、配信シングル1曲をリリース(2022年現在)。メンバーはそれぞれ個人活動も行っており、PLECTRUMの音楽に更なる幅をもたらしている。
1992
大阪府立大学在学中、当大学の音楽サークル「飛行船」にてタカタタイスケ、藤田顕、中井敦が出会う。▷前身バンド「STAR SIGN」結成、バンド名は敬愛するTeenage Fanclubの曲名から拝借。▷初代メンバーはVo.Gt.タカタ、Ba.中井、タカタの幼馴染みのGt.綿背貴泰、メンバー募集で知り合ったDr.辻千代。▷大阪・難波ベアーズを拠点に活動。
1993
吉本興業DRプロジェクトオーディションに合格し、大阪・心斎橋2丁目劇場「WA CHA CHA LIVE」に定期出演。▷ギタリスト藤田が加入し5人編成となり、タカタはボーカルに専念。
1994
Teenage Fanclub初来日、デモテープを渡す事に成功。▷綿背、辻が脱退、中井がベースからドラムに転向。▷飛行船にギタリストとして入部してきた新入生、岸原尚紀をベーシストとしてスカウトし、Vo.Gt.タカタ、Dr.中井、Gt.藤田、Ba.岸原の4名で再始動。
1995
Teenage Fanclub再来日、STAR SIGNを覚えていたNorman Blake(Teenage Fanclub)から、幸運にもライブ後のパーティーに誘ってもらう。そこでバンド名を変えたいとオファー、『PLECTRUM』の名称を授かる。
1996
5/25 ポリスターレコードより、ミニアルバム 「JAPANESE DISCO IS FUN?」でメジャーデビュー。▷8/25 マキシシングル「FLOW」をリリース。▷9/26 1stフルアルバム「SUNDAY CHAMPION」をリリース。▷11/25 シングル「JAPANESE DISCO IS FUN!」をリリース。
1997
渋谷0-NESTにて、4ヶ月連続ワンマンライブ「10YARDS FIGHT」を敢行。毎月5曲新曲を発表するという無謀な企画にも関わらず計20曲を見事に書き上げ、ライブで披露した。▷5/25 シングル「SMILE」をリリース。
1998
4/1 マキシシングル「STAR BOWLING」をリリース。▷5/2 マキシシングル「CAMP FIRE THRILL」、ビデオ「The Adventure of Pony Rider」をリリース。▷6/24 2ndアルバム「The Adventure of Pony Rider」をリリース。今作はプロデューサーに高桑圭(Curly Giraffe, ex.GREAT3)を迎え、ドラム白根賢一(GREAT3)、キーボード堀江博久、パーカッション及川浩志(Central)が参加。 藤田がギタリストで参加していた「GREAT3」のステージメンバーと共に制作された。▷結成時からリーダーとしてバンドを牽引してきた中井が正式に脱退。
1999
ポリスターレコードとの契約が満了、メジャーレーベルを離れインディーズで活動をはじめる。▷タカタ、藤田、岸原それぞれ個人活動の場を広げる。
2000
6/26 インディレーベルROCK RECORDSより、3rdアルバム「COLOMBIA」をリリース。ドラムに大脇武志、立井幹也が参加。制作期間は録音とミックスを含め1週間ととてもタイトなスケジュールだった。
2001
GOMES THE HITMAN、advantage Lucy、PLECTRUM、CELLOPHANEの4バンドによる合同企画ライブ「GAPC」を開催、ツアーを行う。▷8/10 LD&K Recordsより、4thアルバム「sorry」をリリース。Dr.立井幹也、Syn.溝渕ケンイチロウ、Vo.アイコ(advantage Lucy)が参加。▷11/21 ポリスターレコードより、ハリウッド映画「SPY KIDS」日本版プロモーションシングル「スパイキッズ feat.PLECTRUM」リリース、収録曲2曲の作詞・作曲・演奏・プロデュースを手掛ける。
2002
初の自主企画ライブ「Boys of the~」を東京・下北沢CLUB Queにて開催。
2003
初自主製作CD「TILL I DIE AGAIN EP」をリリース(会場限定販売)。エンジニア兼共同プロデューサーに石坂義晴(advantage Lucy)を迎え制作された。▷「TILL I DIE AGAIN EP」レコ発東名阪ワンマンツアーを行う。▷5/28 UNIVERSAL MUSICより、WEEZERトリビュートアルバム「ACROSS THE SEA」発売、表題曲「ACROSS THE SEA」で参加。
2004
3/20 LOVE&PEACE RECORDSより、5thアルバム「PROM NIGHT」をリリース。前作に引き続きエンジニア兼共同プロデューサーに石坂義晴(advantage Lucy)、ドラムに立井幹也を迎え制作された。▷3月に初となる海外でのライブ、advantage Lucyらと共に初の韓国公演に凱旋。9月にはSwinging Popsicleらと共に再訪問、この年は2回、韓国でライブを行った。
2005
2/16 mona recordsより、初のライブ盤「LIVE 4 LIVE」をリリース。前年の韓国でのライブも収録。▷岸原、バンド活動を休止、ベースに千ヶ崎学を迎え、活動を継続した。
1/21 岸原尚紀卒業記念、自主製作CD「SWEET MEMORIES」をリリース。演奏はメンバー3人のみで行われた。▷東京・下北沢CLUB Que、大阪・難波ベアーズにてワンマンライブ「SWEET MEMORIES」を開催。▷「BMX Bandits semi-acoustic Japan tour 2006」に参加、BMX Banditsの曲を数曲セッション。▷岸原がバンドを脱退。▷「Ally Kerr Solo Acoustic Live 2006」に参加、グラスゴー孤高のSSW、アリー・カーと数曲セッション。▷ベース平田博信(Swinging Popsicle)を迎え、東京・下北沢GARAGEにてライブを行う。▷「Nice Man(Francis Macdonald)Japan shows 2006」に参加、Teenage Fanclubのドラマー、フランシス・マクドナルドと数曲セッション、その際のバンドに「Nice Man & Japanese Bad Boys」と名付けられた。